Durga-2018

カジュラホという土地に魅かれました。なんだかんだいって寺院の彫像にはエロティックなイメージを持っていたので、そこに“ロマンティックな神秘”を期待していたのかも。

タントラのワークについては何をするのか皆目見当がつかなかったけど、VBTに基づいているのならばどんなものでも信頼をもって飛び込めるなとは思っていました。

予想通りにはいかない

予想に反し、「ピンと来ない」というのが寺院を訪れたときの最初の印象。暗くて怖い、気持ち悪い、というほうが強いかな。どうも溶け込むことができず、みんなの感動や素晴らしい経験を聞くにつれ、自分だけが取り残されたような気がして数日落ち込んでいた。

3日目のダイナミックの最中にマラの糸が切れ、続けて風邪を引いたことが、「どうやら何かが起きているらしい」と思い始めたきっかけ。高熱が引いた日に行ったジャイナ教の寺院で、「ああ、ここだ」とようやく安堵感を得た。井戸の底を見たとき、ゴラクの寺院のシヴァリンガに触れたときにも心地よさを感じ、あっち(ヒンディーのほう)ではなく、こっちだったんだなあと。

そこから、「予想通りにはいかない」というのは、スーツケースが届かないとかフライトに乗り遅れるとか(笑)、実際的な出来事だけではないな、と徐々に思い始めた。うん、リシケシやプネーでは目の前で閃光がはじけるようなわかりやすく強烈な体験をしたけど、今回はやけに地味だなー、と。

感じるべきところで感じない、体調を崩す、ハグを拒否されて落ち込んで泣いてる――こんな経験、今までなかったな。いったいどこで何が動いているんだろうか――。

「わからない=ダメではない」

「変化」というと派手で劇的なものを連想しがちだけど、今回の収穫はそういう期待が裏切られたこと。

一見、何の体験もしていないように思えたけれど、実は自分がまったく意識していなかった部分で、ものすごく微細なものが動いていることに気がついた。すごーく地味な変化だし、それがこれからどう転ぶのかまだわからない。

もしかして、今までで一番インパクトの強い体験なのかもしれません。

個人的に、年末から「不確かさ」について考えさせられていたけれど、この旅はその延長戦でもあり集大成でもあるかな。

周りのみんなが寺院でエネルギーを感じたりしているなか、ピンと来ていない自分を認めることができずに落ち込んだけれど、それもひとつの体験なのだということに気づいてはっとした。

「わからない=ダメではない」という数式があらゆる善悪の区別を溶かしてくれて、何が起きても(起きていないように思えても)OKなのだな~と腑に落ちました。


そして、大好きな『ヴィギャン・バイラブ・タントラ』の世界を、この地に満ちたシヴァのエネルギーを通し、生き生きと味わうことができたのも素晴らしい体験でした。

Khajuraho-Durga-Uttam

カジュラホでのもうひとつの強烈な体験

――と言いつつ、実はひとつ強烈な体験があって、それは朝のナダブラーマ。えー?!今までしてきたのは何だったのー?とひっくり返るような体験でした。瞑想は万人に開かれているけど、瞑想に命が吹き込まれるのには、やっぱりちょっとした鍵が必要なのでしょうね。

天文学的な確率で私たちは生まれたうえに、上昇を目指すのはその1割、さらにシヴァ、OSHO、ガンガジと綿々と引き継がれてきた智慧を手にできるのは本当にわずかな確率だと思います。

ウッタムとトーシャンが時間をかけて築き上げたガンガジとの信頼関係のなかで得られたその貴重な智慧をシェアしてくれて本当に感謝です。この宝石に勝る宝を大切に、自分の瞑想に活かしたいと思います。

もちろん、キス禁止もね!(どーなることやら:笑)

部屋も食事も良かったです。贅沢気分でした。