タントラは、すべてを受け入れるーーなんであろうともハートの底から受け容れる。だからこそタントラはセックスを全面的に受け容れることができたのだ。

この五千年間、タントラこそがセックスを全面的に受け容れてきた唯一の伝統だった。まさに世界中で唯一のものだ。なぜか。なぜなら、セックスこそあなたの今いる地点だからであり、どんな動きも自分の今いる地点から発するからだ。

中略

「身体」はただのうわべだーー深いところで身体はセックスの象徴だ。だから、セックスに対立する伝統は肉体にも対立している。セックスに対立しない伝統は肉体に友好的になるしかない。タントラはこの上もなく友好的だ。肉体は神聖なものだ、神々しいものだ、とタントラは言う。

タントラにとって、肉体を非難することは冒涜的だ。肉体は不浄だ、肉体は罪だという主張は、タントラからすればナンセンスだ――とても有害な教えだ。

タントラは肉体を受け容れる――受け容れるだけでなく、肉体は神聖で、汚れがなく、罪のないものだと言う。あなたはそれを利用し、それを乗り物にすることができる、超越のために! 肉体は超越の手助けすらしてくれる。 

だが、肉体と闘うところから始めたら、あなたは迷子になってしまう。それと闘いはじめたら、あなたはますます病的になっていく。それに肉体と闘いつづけたら、あなたは機会を逃してしまう。闘うことは否定的だ。

タントラは肯定的な変容だ。それと闘ってはいけない、そんな必要はない。

それはまるて車のなかに座って、車と闘いはじめるようなものだ。それでは前に進むことができない、乗り物と闘っていたのでは――それは敵対するのではなく、使われるべきだ。そしてあなたは闘いによって乗り物を壊してしまう、そうなれば前進することはなおいっそう難しくなる。 

身体は美しい乗り物だ――じつに神秘的で、じつに複雑だ。それを使ってごらん。それと闘わずに、それと協力する。それに対立した瞬間、あなたは自分と対立している。どこかに行こうとする人が、自分の足と喧嘩し、それを切り落としてしまうようなものだ。

タントラは言う、

身体を知り、その神秘を知りなさい。そのエネルギーを知り、そのエネルギーをどのように変容されるかを知りなさい――それがどのように動いて別の次元へ入っていくかを

例えば、セックス、それは肉体の基本的なエネルギーだ。ふつうなら、セックスエネルギーはたんに繁殖のために使われる。ひとつの肉体が別の肉体をつくり、それがどこまでも続いていく。セックスエネルギーの生物学的な有用性は繁殖にとどまる。

だが、それは使い道のひとつにすぎない、それも最下位の。否定的なニュアンスはまったくないが、それがいちばん低い。その同じエネルギーが別の創造的な行為をすることもできる。繁殖は基本的な創造行為だ――あなたはなにかをつくりだす。母親になった女性が微妙な幸福感を覚えるのはそのためだ。彼女はなにかをつくりだした……。 

中略

タントラはなにも否定しない。どうやって変容するかという秘密のテクニックがあるだけだ。

タントラがこれほど肉体について語るのはそのためだ――それは必要とされる。肉体は理解されなければならない。あなたは自分が今いるところからしか始められない

Osho
タントラ秘法の書より一部抜粋

namaste