昨年春に結婚したパートナーと共に、3月のカジュラホワークに参加しました。
パートナーと出会う前から私はタントラに触れており、結婚後はパートナーと共に道を探究するのがある種の夢であったのですが、あいにく二人でのタントラはほとんど実践に至らず、肉体的な繋がりにおいて「こんなものなのかな?」と感じている私がいました。
私自身、こと男性に対する恐怖と緊張を結婚後も深層に抱えており、そのせいか、心では心底尊敬し信頼しているパートナーに対してすら私の身体は大抵緊張していて、自分のガードを取り去って寛いでもいいのかな、それともまだ緊張しておいた方が安全かなと、様子を伺うのです。反応の仕方が分からない葛藤と、常時緊張モードにより疲れていました。
またパートナーに寛ぎを与えられない自分に対しても罪悪感を覚え、何か行き詰まりを感じていました。打開の糸口は、このタントラしかないと思い半ば縋る思いで、密かにカジュラホ行きを決意しました。
私があまりにしつこく言うので、「ワーク」とか「合宿」という言葉の響きの不自然さに拒否反応を示していたパートナーも、最後には折れてくれ、同行を承諾してくれました。
結果的に、カジュラホでの経験は、二人にとって本当に期待以上の素晴らしいものでした。
二人同時に休暇を取ってどこかに旅行したのも初めてで、実質的にも新婚旅行だったのですが、この旅は今後の人生や夫婦生活を一変させるほど、貴重で忘れられない7日間となりました。
あの、タントラの聖地カジュラホで、タントラグループに参加できる幸運に恵まれた喜び、愛するパートナーと一緒に参加できた喜び。
隣にいるパートナーが愛おしくて愛おしくて、愛おしい気持ちが溢れ出て、ただハラハラと嬉し涙を流す時が何度も何度もありました。
ワークも中盤に差し掛かり、二人が部屋で過ごしていた夜、「こんなに女神さまみたいなのに、今まで雑に扱ってごめんね。」と言ってもらったことがあります。
それはまさに、私がそれまで抱いていた『何かを伝えたいのに伝わっていない不満』が昇華された瞬間であり、この言葉を聞けただけでもカジュラホに来た甲斐があった、タントラをやって良かったと、心底感じられた時でした。
このカジュラホの旅を境に、二人の間にはタントラで言うところの、『枯れないエネルギーの循環』が自然に起こり出しました。
ただ二人でそこに在り、自己の存在、相手の存在に意識を置いた時、意図せずとも自然にエネルギーの交流が起こるようになりました。
エネルギーの循環が、合図も言葉もなく、始まるべき時に自然に始まり、互いが同じ流れを認識、共有できるのです。 最初にそれが日本で起こった時には本当に驚いたのですが。
タントラは、カジュラホのあの瞑想ホールの、あの夢のように瞑想的な特別な空気の中でしか実現しないものではなく、二人が住むこの家でも起こる!
これは二人が同時にウッタムとトーシャンの導きを受けて、タントラという大樹の小さな種を、二人で同時に持って帰って来れたからこそ、起こっているのだと感じています。
一緒にインドに行き、これからも共にタントラを探究してくれるパートナーに、同じ時間を分かち合った参加メンバーのみんなに、トーシャンとウッタムに、心から感謝しています。
本当に行けてよかった。私の中の『いのち』が悦んでいます。
(女性)