さあ、インドへ行こう。素敵な経験があなたを待っています。今すぐ飛行機を予約して。一月はちょうどベストシーズン。プネー、ゴア、リシケシ。あちこち旅するには持ってこい。
異文化に出会い、非日常の冒険に出かけ、瞑想を体験したり、ワクワクする恋愛や、めくるめく官能や、神秘を体験したいあなたにはぴったりの場所、それがインドです。
そしてあなたは何か新しい経験を求めてインドにやって来ます。
が、待ち望んでいたような経験は起こらず、期待外れなことばかり起こります。
だまされた!
宣伝文句は嘘だったとあなたは怒りを感じ始めます。
母国の文化を十分経験したあなたは一体どうなりましたか?
浮気を経験してみる?あなたはすでに自分のパートナーを十分経験しているじゃありませんか。
何も起こらないし、何も変わらない。
経験はあなたに何か与えてくれましたか?
人間が動物と違うところは「自我エゴ」を持っているという点です。
動物が悲しいとき、彼らは自分が悲しいとは感じません。犬は「ボクは悲しい」と感じるのではなく、犬そのものが悲しみになります。その犬に「悲しいな」と言う「わたし」は存在しません。
犬が空腹なとき、「ボクは腹ペコだ」と言う「わたし」は存在しません。犬そのものが空腹になります。
「自我エゴ」が生物に現れたとき、動物界からの跳躍が起こり、人間になるのです。
そしてこの「自我エゴ」とは経験したいという欲望そのものです。これが生を地獄にしてしまいます。
あの女性、この男性、どこそこの食べ物、あの場所この場所、何でも経験してみたいという欲望が生まれると、あなたは途端に落ち着きをなくします。そしてあちこち場所を変え、手を替え品を替え、何か行動しなければならなくなるのです。
では、その元凶である「自我エゴ」からどうやって自由になれるというのでしょう?
それは「理解すること」です。
生を経験するのか、生を理解するのか。道はこのふたつしかありません。
経験から得られるものはいつも両極端です。損か得か、苦か楽か、敵か味方か。
あなたが何かを経験するときにはいつもどこか不快感を覚えているはずです。結果が常に正反対だからです。
経験を求める人はくつろぐことができません。くつろげるはずがないのです。これは苦いのか甘いのか。かれらはいつも働きバチのように動き回っています。
そう、結果はいい経験と悪い経験に分けられるだけです。
経験からわたしたちが学ぶことはありますが、理解することは何もありません。
たくさんの経験を重ねれば何かを得られるはずだというのは幻想です。それはただプラスかマイナスに分けられるだけ、わたしたちを混乱させるだけです。
同じ相手が喜びを与えてくれるかと思うと、次の瞬間には苦しみを与えます。
さて、このまま関係を続けるか、それとも別れるか。万人が悩む大問題です。
さて、あなたはその相手を理解しようとしたことがありません。相手を理解すれば関係をどうこうする必要はなくなります。
それはとてもシンプルになるでしょう。
あなたが理解に至ればすべてはとても明解になります。
相手が共に分かち合ってくれるとき、なぜそうなのか。相手が背を向けるとき、なぜそうなのか。
理解すれば、問題はなくなります。どちらの場合も不平不満はなくなるでしょう。
どうしてそばにいて自分にいい経験をさせてくれないのか、どうしていやな経験をしなければならないのかと怒ったり不満を言ったりするのは「自我エゴ」です。その「自我エゴ」にはいくら考えても「理解すること」はできないのです。
それでは、その理解は瞑想によってのみ起こるのでしょうか?
そう、瞑想を通じて、人生を理解したいと決心したとき、問題を理解して解決を求めないと決心したときにのみ、本当の理解が起こります。
経験することから理解することへと転換するのだと自分自身に宣言するとき。
それは少し方向を変えるだけのように見えますが、あなたの全人生が大転換するほどの大きな変化なのです。あなたはずっと穏やかになるでしょう。
生を理解しようとする人がサニヤシンなのです。それが真のサニヤシンです。
経験を求めて外側を探すことから、理解をするために内側を探究する。
あなたの行動は自ずと変化します。あなたの意識は大きく変わります。
いつもいい悪い、敵だ味方だとすべてを分けていたあなたが、ざわざわせず、中心の定まった存在になるのです。あなたが選別をしなくなったとき、あなたは宇宙の法則を理解するのです。
経験と理解が出会うとき、叡智が訪れます。
理解することなしに経験だけをいくら重ねても決して叡智はやってきません。
反対に経験することなく部屋にこもって理解だけしても、あなたはただの知識人になるだけで、叡智はやってきません。
わたしは生を経験したいのではなく、生を理解したい。
人生の問題を解決するのではなく、問題を理解したい。
周りで起きていることを判断することなく、ただ理解する、そう決心すること・・・・・すると、あなたの人生は、今までとは違った側面に向かって開花していくでしょう。
Bodhi Uttam