瞑想の道を歩いていると、いつか必ず「コミューン」という言葉に出会います。Oshoはコミューンをつくりました。ブッダもまた、コミューンをつくりました。けれど、その二つが同じものだと思い込んでしまうと、私たちはOshoからのギフトを、受け取りそこねてしまいます。
ブッダとは何をしたのか。Oshoは何を変えたのか。その違いがはっきりと見えたとき、はじめて瞑想は花開いていきます。
宇宙の2500年周期 ── ブッダという衝撃
この宇宙には、ある周期があります。およそ2500年ごとに、人間の意識がひとつ上へと成長できるように、ひと突きの衝撃を与える存在が現れる。そういうサイクルです。
2500年前、ブッダはまさにその衝撃を人類に与えるためにやって来ました。
ここで、ひとつ知っておいてほしいことがあります。ブッダより前にも、エンライトした人々は数多くいたのです。ただ独りで、自分ひとりの内側でエンライトメントに達した人は、たくさんいました。けれど彼らには、ある限界がありました。自分は光に達しても、その光を人類全体の集団意識へと手渡すことができなかったのです。
そのためには、器が要ります。その器こそが「サンガ」でした。
サンガという贈りもの
だからブッダはサンガをつくりました。これはブッダの、叙事詩のように壮大な貢献でした。独りで達した光を、はじめて「みんなのもの」にできる仕組みをこの世に置いていった。それがサンガです。
ところが、この2500年の周期は、いつしかほとんど止まってしまいました。歯車が動かなくなってしまったのですね。
そして──不思議なことに、その2500年後に、Oshoが現れます。ふたたび人間の意識のすべてへ向けて、止まっていた歯車が動き出したのです。
コミューンとコミュニティ ── ここに決定的な違いがある
さて、ここからが肝心です。
私たちの心は、いまだにブッダの到来の影響を受けています。だからこそ、Oshoのコミューンとブッダのコミューンの違いを、きちんと理解しておかなければなりません。
まず「コミュニティ」と「コミューン」を分けて考えてみましょう。
コミュニティとは、多くの人がひとつの共同体の中で暮らすことです。いま西洋ではちょっとした流行になっていて、人が集まり、共同体をつくって一緒に暮らしています。言ってみれば「村の心(ヴィレッジ・マインド)」です。ひとつの村の人たちが寄り添って暮らす、あの感覚ですね。
けれど、そこでの目的はエンライトメントではありません。「気楽に、自然に暮らそう。スローライフ。お互い支え合おう」というものです。同じヴィジョンのもとに集まっているのではなく、それぞれが自分のプライベートなエゴを楽しみ、誰も他人に干渉せず、都会の暮らしよりほんの少しだけ調和がある──それがコミュニティです。結局のところ、また新しい村をひとつつくっているだけ。自分と同じマインドをもった人たちが集まって、村をつくる。そこには「心(マインド)を超えていく」という発想がありません。これはマインドの営みなのです。
私たちが話しているのは、そのコミュニティのことではありません。
私たちが話しているのはコミューンです。それも、ただのコミューンではなく、マスターのヴィジョンのもとにあるコミューンのことなのです。
マスターのヴィジョンのもとにあるコミューン
Oshoもコミューンをつくり、ブッダもコミューンをつくりました。けれど人々はいまだに混乱していて、Oshoのコミューンを、ブッダのコミューンと同じものとして受け取ってしまいます。
この違いがはっきりしないかぎり、私たちはその恩恵を受け取ることができません。
だからこそ、この問いが立ち上がってくるのです。
「なぜ、コミューンをつくるのか?」
「そもそも、コミューンとは何なのか?」
ブッダのサンガに行くのと、Oshoのコミューンに来るのとでは、いったい何が違うのか。そして、そこであなたの役割は何なのか。
このテーマを、今回の集いでいっそう深く掘り下げていきます。
ブッダのコミューンは、私たちの無意識にすでにある
なぜこれほど丁寧に区別する必要があるのか。それは、ブッダのコミューンが、すでに私たちの無意識の奥深くに刻み込まれているからです。
ひとつ、例をあげましょう。
ブッダが初めてコミューンをつくったとき、彼は二つのものをそこに許しませんでした。台所(キッチン)と、女性です。
20年以上ものあいだ、台所もかまども無し。20年間、彼は台所を持たずにサンガを運営しました。いまでもインドでは、サンガに台所は許されていません。
20年が過ぎたころ、ようやく一人の女性が入ることを許されます。ブッダの母が「行きたい、行きたい」と言い続けたからでした。そしてブッダは、大きなためらいとともに、母を受け入れたのです。「ゴータマ」という名は、この育ての母ゴータミから来ています。実の母の名は、マハーマーヤーでした。
台所と女性を締め出す──これは、私たちがブッダから無意識に受け継いでいるものの、ほんの一例です。
J.クリシュナムルティ、グルジェフ ── 三者三様
ここで、他のマスターたちと並べてみると、違いがくっきりしてきます。
J.クリシュナムルティは、コミューンをつくりませんでした。彼はそもそも、何かを「つくる」ということ自体に反対だったのです。
グルジェフは、つくろうとしました。ただし彼はそれを「ワーク(work)」として、「ワークショップ(workshop)」として立ち上げようとしました。じつは「ワークショップ」という言葉そのものが、グルジェフから来ているのです。
では、なぜJ.クリシュナムルティは決してコミューンをつくらなかったのか。グルジェフがつくろうとしていたものは何だったのか。Oshoがしたことは何か。そしてブッダがしたことは何か。
これらの違いをすべて知って、はじめて私たちは、瞑想のためのひとかけら、ひとかけらを、正しく手に取ることができます。そうでなければ、すべてがごちゃ混ぜになってしまうのです。
なぜタントラの道を行く者に、コミューンが必要か
タントラの道を歩く人にとって、なぜこれを理解することが、これほどまでに大切なのでしょうか。
それは、タントラとは意識の拡大だからです。タントラという言葉の意味は、意識を拡げていくこと。
もし意識を拡げていこうとするなら、まずは「人間」とともに拡げていくことになります。宇宙的な、コスミックな意識へと向かうよりも、はるか手前の段階で、です。
あなたと同じ、同じ言葉を話し、同じ欲望をもち、同じ心をもった「人間」にすら、自分の意識を拡げていけないのだとしたら──いきなり宇宙(ユニバース)まで拡げていけると、本当に思えるでしょうか。
だからこそ、タントリカにとって、コミューンの中に身を置くことが、何よりも重要なのです。
ヨーガ修行者は、独りで生きられます。ヨガとは、そもそも「独りである」ための道だからです。だからヨガにコミューンは要りません。ヨーガ修行者たちは、決してコミューンをつくりませんでした。ヨーガ修行者のサンガなど、どこを探しても見あたらないでしょう。
けれどタントリカは、共にいる必要があります。エネルギーを、そしてありとあらゆることを、実際に「実験」するために。それができる場所が、他のどこにあるでしょうか。
アシュラムとサンガ ── 言葉の奥にあるもの
ブッダのコミューンと、Oshoのコミューン。この二つがはっきりしてきたところで、もう少し歴史をさかのぼってみましょう。
はじめのころ、そうした場所は「アシュラム」と呼ばれていました。アシュラムとは、そこへ来て、聖なる休息の日々を過ごし、ゆっくり休み、瞑想して、また帰っていく場所です。
サンスクリット語で「アシュラム」とは何を意味するか、ご存じでしょうか。「A」は「無い(no)」、「シュラム(shram)」は「働くこと(work)」。つまり「働かない」という意味なのです。
そこでは、働く必要がありません。食べものも、眠る場所も、住む家も、すべて与えられます。あなたはただ、瞑想すればいい。これはインドのとても古い考え方です。人が食べることや日々の暮らしに追われていたら、瞑想などできない──だからアシュラムでは、すべてが用意され、あなたはただ、自分の神聖な本性、神なる本性を思い出しさえすればよかったのです。これはヒンドゥーのコンセプトです。
ところがブッダは、この「アシュラム」という言葉を使いませんでした。彼が使ったのは「サンガ」という言葉です。
サンガとアシュラムは、まるで違います。サンスクリット語で「サンガ」とは「結合(ユニオン)」、人々の集まりを意味します。ヒンドゥーのアシュラムでは食べものが手に入り、すべてが用意されていました。けれどサンガでは、食べものは用意されません。外に出て、乞う(托鉢する)しかないのです。何にも依存しない──これが決定的な違いでした。
ブッダが托鉢を始めた ── その静かな革命
インドで托鉢が始まったのは、じつはブッダによってが、初めてでした。ブッダが托鉢を教えたのです。ブッダより前、インドに物乞いはいませんでした。
なぜブッダは、托鉢を始めたのでしょうか。
理由はこうです。もしあなたが誰かのもとへ行って、エンライトメントを教え、その人から何ひとつ受け取らなかったら、その人は「侮辱された」と感じてしまうのです。だから僧は、サニヤシンは、ある家を訪ね、そこで食べものを受け取り、受け取ったあとに、その人たちへ瞑想を伝えていきました。
これは、それまでのヒンドゥー文化とは、まったく逆さまのことでした。
ブッダ以前のヒンドゥーのやり方では、あなたのほうが、アシュラムに座っている僧のところへ出向いていくものでした。僧が食と住まいを与え、あなたは頭を垂れて、そのもとで学ぶ。僧のほうから、あなたの家へ托鉢に来ることなど、ありえなかったのです。
だからブッダは、すべてをひっくり返しました。ヒンドゥーのサニヤシンは「スワミ(swami)」と呼ばれます──「マスター」という意味です。ところがブッダのサニヤシンは「ビク(bhikkhu)」と呼ばれました──「乞う者」という意味です。
彼はすべてを変えてしまった。だから国じゅうが大きな衝撃に包まれました。サニヤシンが自分の家の戸口に立ち、食べものを乞う──そんなことは、かつて一度も起きたことがなかったのです。
ブッダの論理は、こうでした。「アシュラムは、いずれすべて権力の中心になってしまう。スワミたちは偉大で特別な存在になり、やがて普通の人々を助けなくなる」と。だから彼は、何もかもを逆さまにしました。「スワミよ、サニヤシンよ、みずから人々の家へ行き、受け取りなさい」と。
そこで何が起きるか。頭を下げて何かを受け取るたびに、サニヤシンのエゴが落ちていくのです。サニヤシンのエゴが、静かに崩れていく。これは、ブッダという現象が生んだ、いくつもの輝きのうちの、ひとつの星のようなものでした。
托鉢の魔法、そして衰退
そしてそれは、まるで魔法のようでした。
サニヤシンが本当に瞑想していると、彼らは瞑想のただ中で、直観的に分かってしまうのです。今日はどの家へ行けばいいのか。誰がその戸口から出てくるのか。その人に何を伝えればいいのか。
だから彼らの教えは、驚くほど力強く、そしてぴたりとその人に合っていました。瞑想の中で、彼らは気づくのです。「今日はあの家へ行く。あの人が、この食べものを差し出してくれる」と。ある女性が出てくることが分かり、その女性の過去生をすでに見てとって、「あなたは、これをしなさい」と伝えることさえできました。
そのブッダのメッセージは、非常にパワフルで燃え広がる火のようでした。貧しい人にとっては、誰かがふらりと訪ねてきて、パンや米をほんの少し差し出す。すると、そのたった一度の出会い、その一瞬で、自分の抱えていた問題が、まるごと解けてしまう。そうやって人々は、次々とブッダのサニヤシンになっていったのです。
ブッダのもとには、そうした本物の瞑想者たちがいました。
けれど──少しずつ、少しずつ、僧たちは瞑想の実践をやめていきました。ただ托鉢するだけになり、彼ら自身が、かつて否定したはずのアシュラムのようになっていったのです。やがて女性たちが入ってくると退廃した形のタントラに手を染め、王たちから多額の寄進を受け取り、豊かな暮らしを引き寄せるようになっていきました。
中国へ ── 托鉢が通用しない土地
やがて仏教は、中国へと渡っていきます。
けれど、そこで托鉢という習慣が、大きな壁にぶつかりました。当時、僧たちにはいくつもの厳しい戒律がありました。金銭を持たないこと。衣は二組まで。鉢はただ一つ。そして「ひとつの場所に三日以上とどまってはならない」という戒律もありました。こうした非常に厳格な戒律を携えて、彼らは中国へ渡ったのです。
ところが、中国の人々は、寄進も食べものも与えることを拒みました。彼らはとても現実的な人々で、「なぜあなたたちに与えなければならないのか」と言ったのです。もともと、共産主義的な素地のようなものが、彼らの中にはありました。
おまけに気候がとても厳しく、冬は氷ばかり。あまりの寒さに、どうやって遊行して去っていけばいいのか。「夜には食べない」という戒律も重なって、中国では大きな困難が持ち上がりました。インドで実践されていた通りの仏教には、彼らはとても従いきれなかったのです。
第四祖・道信 ──「僧は、働かねばならない」
そこで彼らは、変えました。
禅の第四祖である道信(どうしん)が、そのすべてを変えたのです。彼はこう言いました。「僧は、働かねばならない」と。
大きな土地を得て、自分たちで作物を育て、自分たちで生活を成り立たせていく。第三祖までの三人は、なんとかインドのやり方を守ろうとしました。けれど、托鉢をはじめ、あのやり方はこの土地では不可能だと悟ったのです。だから中国から、規則をまるごと変えました。「皆が働くこと。すべてが自立していること」と。
ここから、とりわけ禅において、「僧は働かねばならない」という在り方が生まれました。「私は、働くことを通して、何にも依存していないと実感する」──こうした変化が、静かに起こり始めたのです。
Oshoからのメッセージ
これが、ブッダのやり方でした。では、Oshoはなぜ違うのでしょうか。
Oshoは、彼のサニヤシンが社会へ出て托鉢することを、許しませんでした。「あなたは、あなた自身のために働きなさい」と言ったのです。なぜ人が乞いに来るのか、その目的は何なのか──そうしたものは、滅ぼされなければならない、と。
そしてOshoは、ブッダが締め出したもの、あの台所と女性を、ふたたび持ち込みました。ブッダが禁じたはずの、多様な食も、多彩な動き(ムーブメント)も、その瞬間から、まるごと許されたのです。
ブッダは間違っていたのか ── いいえ、正しかったのです
こうして並べてみると、ブッダのしたことは、まるですべて間違いだったかのように見えるかもしれません。
けれど──ブッダは、その時代においては、正しかったのです。
ブッダは王でありながら、乞食のように生きました。とても貧しい暮らしを、みずから選びとった。彼は、王としての生活を好まなかったのです。時代が求めるものと、ブッダが差し出したものは、その時、たしかに噛み合っていました。
Oshoは貧しい家庭に生まれ、そして王のように生きました。2人は正反対なのです。
このポイントこそが、私たちの誰しもが明確になっていない点なのです。
Oshoはいったい何を変えたのか。
Oshoと現代 ── 70年代、AIを語っていた
21世紀に生きる私たちは、ここから何を学べるのでしょうか。
Oshoは、1976年の時点で、AIについて語っていました。
彼はこう言いました。「記憶(メモリー)に頼った教育は、すべて愚かなものになる」と。ロボットが来る。チップが来る。そのチップが、あなたの耳に、身体の内側に埋め込まれる。私たちの記憶はそこに収められ、世界じゅうの図書館が、まるごと、身体の中の小さなチップに収まってしまう──そんな未来を、彼は1976年から78年ごろに、すでに説いていたのです。
そして彼は言いました。「コンピュータが来た、その瞬間に」と。実際Oshoは、コンピュータが登場するやいなや、すぐさま自分のアシュラムに、すべてコンピュータを備えつけました。
これこそが、要点を突いているのです。
Oshoの人々は、ブッダを愛する。だが、仏教徒ではない
私たちがこのことを正しく理解しないかぎり、大切なことを取り逃がしてしまいます。
Oshoの人々は、ブッダを愛しています。けれど、彼らは仏教徒ではありません。では、どのように仏教徒ではないのか。
肝心なのは、まずこうした歴史の背景をすべて、そして各マスターの目的とヴィジョンを、正しく理解することです。それらを理解しないままで、いったいどんな恩恵を受け取れるというのでしょうか。これらの違いがはっきり見えていなければ、私たちはただ、ごちゃ混ぜの中に立ち尽くすことになります。
そして、そのとき、瞑想は花開きません。本当に、瞑想がごちゃ混ぜになってしまうのです。
ブッダも「瞑想(メディテーション)」という言葉を使います。すべてのマスターが、同じ「瞑想」という言葉を使う。けれど、その言葉に込められた含意は、一人ひとり、まるで違うのです。
だからこそ──エンライトメントへと向かうために、私たちはこの違いを、自分の内側にきちんと落とし込んでいく必要があります。
この週末、一緒に探求しましょう
コミューンとは何か。なぜ瞑想者に、それが必要なのか。ブッダは何をし、Oshoは何を変えたのか。
この問いは、頭で分かって終わり、というものではありません。実際にコミューンの中に身を置き、瞑想を通して自分の内側で確かめていったとき、はじめて生きた理解になっていきます。
今週末の「週末2日間瞑想の旅」では、このテーマをじっくりと探求していきます。歴史の話としてではなく、いま、あなた自身の瞑想の道を照らす光として。
止まっていた歯車が、ふたたびまわり始めるその場所で、この週末にお会いできることを楽しみにしています。
Bodhi Uttam


