死とは何かーー直面する機会
今年の夏、私たちは2週間という短い期間に7人の友人たちが肉体を離れる(死ぬ)という経験をしました。それは私たちには圧倒的な出来事であり、あたかも周囲を死にかこまれ否応なしに「死とは何か」を考える機会が与えられたようでした。
私たちはインドのOshoメディテーション・リゾートのすぐ近くに20年ほど暮らしています。だから、Oshoの言う「私のサニヤシンたちは死を祝う」というヴィジョン通り、ここでサニヤシンの誰かが旅立つとDeath Celebrationのなかで歌い、踊り、死を祝います。
ここにリンクを貼ってある動画を見ると、その様子が少しわかるでしょう。
それでもなお、次々と友人が肉体を離れるのは衝撃でした。なかには自らの命を絶った友人もいたので尚更でした。頭でわかっていても、体で死を祝う体験をしていても、です。
そうして私たちはタントリックな死とは何かーーをテーマとする週末コースを企画しましたが、私たち自身の準備が足りないと感じたため開催を延期しました。
今、2020年を終えようとしています。
このタイミングで、「タントリカが死を祝うのはなぜなのか?」をテーマとして開催できることは本当に奇跡です。私たち自身こうして今、みなさんと一緒にこのテーマを掘り下げていくとは、まったくの計画外でしたから。
古えのタントラでは、こう言います。
「私たちは誰しも死にたくないのだ。小さな蟻だろうと蚊だろうと、死にたくない。
小さなコロナ・ウィルスであろうと、最も進化した人間であろうと死にたくない。
それぞれに共通するたった一つのこと。 それは誰も死にたくないのだ。」
生きることへの欲望は激しく強く、ゆえに他人を殺すこともできる。
どれほど愛していようとも、自分が生き延びるために誰かを殺すことさえ私たちは厭わないーーと。
I teach how to die. 私は死に方を教える。
私たちのマスターOshoに誰かが尋ねます。
「あなたの教えは何ですか?」
彼は答えます。
「私は死に方を教える。」
20世紀最大のマスターであり、偉大なるタントラ・マスターであるOshoは弟子の問いにこのように答えています。
ヒンディー語が分からない私たちにとって邦訳本が未出版の場合、実はその存在すら知りません。この講和もそのひとつです。
このなかでOshoは微細な身体の層(アストラル体)と瞑想、タントリックな技法について語っています。
今回の講座では本書の内容にも触れていくばかりでなく、タントリックなプラクティスも伝授していく予定です。
これはおそらく日本初となるでしょうから、Oshoが実際にどんな技法を手渡してくれているのか知りたい方にとっては貴重な機会となります。
मैं मृत्यु सिखाता हूँ – Main Mrityu Sikhata Hun (Hindi Edition)
開催概要
日時 | 12月30日(水) 14:30〜17:30 |
会場 | zoomオンライン |
参加費 | 5500円(税込) ※割引特典あり。詳細はこちら。 |
講師 | ウッタム&トーシャン |
参加対象 | タントラ、生と死について興味のある方 |
※この講座は来年開催予定「Tantric Death – Opening the Door to the MAHA-JIVAN -タントリックな死〜偉大なる生の扉を開け放つ〜」本コースへのイントロダクトリー講座となります。
動画の講和一部抜粋
My sannyasins celebrate death too, because to me death is not the end of life but the very crescendo of life, the very climax. It is the ultimate of life.
Osho- Come, Come, Yet Again Come #2
Life has to be lived to be known. And if you live life without any inhibition, without any fear… There is nothing to fear – it is your life; it has been given to you to live. It is a gift of nature to you. It is not a punishment; it is simply a gift from existence. Rejoice in it, and burn your life’s candle from both ends together. Live as intensely as possible, and the very taste of life will give you the clue why death is not to be feared. Once you have known your life, its fire, you will know that there is no death.
This life that one comes to know by intense living is eternal. The feeling of its eternity arises simultaneously as you live. The deeper, the more intensely you live, the quicker you feel there is no death. In my religion, death is celebrated because there is no death;
Osho- From Personality to Individuality #12
Celebrating death will help you to understand that there is nothing in life to be afraid of. If death is a celebration, then what else can be a cause of fear? If you can celebrate death, you have attained a maturity.
Osho- From Personality to Individuality #12