シヴァシャクティのコース&リトリート@カジュラホに参加された方の感想です。  

◇昨年春に結婚したパートナーと共に、3月のカジュラホワークに参加しました。パートナーと出会う前から私はタントラに触れており、結婚後はパートナーと共に道を探究するのがある種の夢であったのですが、あいにく二人でのタントラはほとんど実践に至らず、肉体的な繋がりにおいて「こんなものなのかな?」と感じている私がいました。私自身、こと男性に対する恐怖と緊張を結婚後も深層に抱えており、そのせいか、心では心底尊敬し信頼しているパートナーに対してすら私の身体は大抵緊張していて、自分のガードを取り去って寛いでもいいのかな、それともまだ緊張しておいた方が安全かなと、様子を伺うのです。反応の仕方が分からない葛藤と、常時緊張モードにより疲れていました。 またパートナーに寛ぎを与えられない自分に対しても罪悪感を覚え、何か行き詰まりを感じていました。打開の糸口は、このタントラしかないと思い半ば縋る思いで、密かにカジュラホ行きを決意しました。 私があまりにしつこく言うので、「ワーク」とか「合宿」という言葉の響きの不自然さに拒否反応を示していたパートナーも、最後には折れてくれ、同行を承諾してくれました。 結果的に、カジュラホでの経験は、二人にとって本当に期待以上の素晴らしいものでした。二人同時に休暇を取ってどこかに旅行したのも初めてで、実質的にも新婚旅行だったのですが、この旅は今後の人生や夫婦生活を一変させるほど、貴重で忘れられない7日間となりました。 あの、タントラの聖地カジュラホで、タントラグループに参加できる幸運に恵まれた喜び、愛するパートナーと一緒に参加できた喜び。隣にいるパートナーが愛おしくて愛おしくて、愛おしい気持ちが溢れ出て、ただハラハラと嬉し涙を流す時が何度も何度もありました。 ワークも中盤に差し掛かり、二人が部屋で過ごしていた夜、「こんなに女神さまみたいなのに、今まで雑に扱ってごめんね。」と言ってもらったことがあります。 それはまさに、私がそれまで抱いていた『何かを伝えたいのに伝わっていない不満』が昇華された瞬間であり、この言葉を聞けただけでもカジュラホに来た甲斐があった、タントラをやって良かったと、心底感じられた時でした。 このカジュラホの旅を境に、二人の間にはタントラで言うところの、『枯れないエネルギーの循環』が自然に起こり出しました。 ただ二人でそこに在り、自己の存在、相手の存在に意識を置いた時、意図せずとも自然にエネルギーの交流が起こるようになりました。エネルギーの循環が、合図も言葉もなく、始まるべき時に自然に始まり、互いが同じ流れを認識、共有できるのです。 最初にそれが日本で起こった時には本当に驚いたのですが。タントラは、カジュラホのあの瞑想ホールの、あの夢のように瞑想的な特別な空気の中でしか実現しないものではなく、二人が住むこの家でも起こる! これは二人が同時にウッタムとトーシャンの導きを受けて、タントラという大樹の小さな種を、二人で同時に持って帰って来れたからこそ、起こっているのだと感じています。 一緒にインドに行き、これからも共にタントラを探究してくれるパートナーに、同じ時間を分かち合った参加メンバーのみんなに、トーシャンとウッタムに、心から感謝しています。 本当に行けてよかった。私の中の『いのち』が悦んでいます。 (女性)


カジュラホの寺院群にある彫刻は、日常のごく普通の感覚で眺めるとエロティックな感じを受けます。しかし心を落ちつけて思考を静止し眺めていると、エロティックな感じとはあくまで私の中にあるエロに対する偏見が投影されたものなんだと理解するようになりました。その彫刻にある男性と女性の姿に角のあるエゴの要素が見当たらないのです。肉体を小宇宙と表現されますが、この肉体そのものは神様に祝福されていて、性愛とはごく自然な宇宙の営みに他ならないのだと感じたのです。 自分を取り巻く環境では性愛というものが商業の中に組み込まれ薄っぺらに扱われています。また性愛を口にすると軽蔑されるような社会の中で生きてきた自分自身であったのです。環境に対する慣れというものは怖いもので、私も人に話せば恥じるような快楽の一端として性愛を扱ってきたのです。 しかし私たちの肉体とは聖なる器なのだと、その感覚へとカジュラホの寺院のエネルギーは私を誘っていくのでした。

瞑想を深めながらパートナーに対する感情が変化していくのを感じていました。 尊い女神に向かい合っているかのような感覚です。 実際に女性の聖なる器たる身体とは女神のエネルギーに満ちているのでしょう。 心地よいスペースを感じているとき、感情が主体となった衝動的なエネルギーは鎮まりかえっています。 ホテルのベッドで横にいるパートナーの身体に触れる時、彼女の中の繊細な女神のエネルギーを感じていました。 私の意識は彼女のエネルギーを奉っていました。自分自身の感性が澄まされていくのを感じていくと、彼女の女神のエネルギーに触発されて自分の中の男性エネルギーが呼び起こされていくのを覚えました。 男女の出会いや合一とは、まさに男性性と女性性の出会いであり、合一なのかもしれません。 その体験は私の男女の概念を一変させました。 あの3日目の夜のワークは効果的でした。 私の場合、お母さんに対するネガティブな感情は恋愛対象となる女性に投影されて、現実を複雑にさせていることを自覚していました。 そして女性を代表した存在である母親に対する憎しみのエネルギーは未だ潜在的に私の中に漂っていました。それは理不尽な形で無関係なパートナーに向けてしまったこともあると今では自覚しています。 自分の中のエネルギーに無自覚というのは本当に危ないのですね。 しかし彼女の女神的エネルギーに意識を合わせていき彼女の神性を奉るようになると、お母さんに対するネガティブな感情にカタルシスを感じるのでした。 そのようなことから男性は一度、女性的エネルギーに対して完全に屈服し女性的エネルギーに包まれなければいけないのかもしれないと思いました。 男性は女性から生まれたわけですものね。 その女性的エネルギーに完全に委ねることから、男性はエゴから解放され、自己の本質である男性エネルギーに生きられるのかもしれません。 自己主張が強く、力で勝ることが男性性ではないのです。 もしかしたら多くの男性は男性性を知らないのかもしれません。 自分を明け渡して女性的エネルギーに平伏すところから男性性は息を吹き返す。 それが男性の喜びなのではと私は感じました。 このリトリートを通して私の中のトラウマの根のようなものに光を照らすことで何か昇華され気が通りやすくなったのではと感じます。もう10日が過ぎ去ろうとしていますが、「今」という瞬間の内なる感覚に確かなものを感じてきましたから本物なのでしょう。 インド旅行はパートナーのかねてからの希望でした。 素晴らしい体験と気づきを与えてくれた彼女に心から感謝しています。 そして私にとって尊い体験へと導きシェアしてくれたウッタムやトーシャンをはじめとして皆さんに心から敬服いたします。ありがとうございました。今後とも宜しくお願い致します。

(男性)


◇タントラのルーツカジュラホから帰ってきました。タントラ瞑想は6年前くらいから行っていて僕の探求していることの一つです。 この地で瞑想するという意味は自分が思っていたよりも大きな意味があり、丁度日本では部分日食がありインドではシバ神とシャクティの結婚式の祭りがあり、パートナーと来た僕にとっては宇宙からのプレゼントで自分自身とパートナーとの魂の結婚式のような気持ちにさせられました。カジュラホのエナジーはとても女性的で宇宙的で、セックスの彫刻があるにも関わらずそれを見たものには性的な欲求が静まるという効果があるように思います。

約千年前に作られた寺院はジャングルの中に泥で隠されいたようです。 寺院を作ったのはタントラ瞑想の実践者たちだけで心から作ったというのがエナジーで感じる事が出来ます。 その昔周辺は湖になっており、ボートで寺院にやって来ていたそうです。 下の方の彫刻は俗っぽくて上に行くほどセックスの彫刻はなくなっていき瞑想している彫刻が多くなっていきます。 寺院の中は神聖な雰囲気で、選ばれた人が招かれて特別な瞑想をしていたみたいです。 寺院一つに俗なるものと聖なるものがあり多次元構造になっており直線軸の時間では捉えられないようになっており見るものによって見えかたが変わる生きた彫刻でです。 今回参加してタントラの概念が大きくかわりました。 美しくて女性的で健やかで静か。一週間ほどの滞在にも関わらず1ヶ月ほど滞在したような落ち着いた気持ちで帰ってきました。 カジュラホでシバシャクティミーティングを開催してくれたウッタムとトーシャンに感謝です。 これに参加すると大きな意味でタントラを捉える事が出来ると思います。 (男性)